田方平野の山裾を自転車で取材していたときに、ふと気づいたことがあった。ほとんど標高に変化のない平野部をたとえば海面に見立てれば、里山の尾根が平野に向かって降りてくるその先端は、いわば岬のような格好を成している。そうした岬状の尾根の先端には、多くの場合、神社が鎮座していたのである。それがなにも田方平野に限ったことではなく、全国に広く見られることであるのは、あとになって知った。尾根のように土地が高いところは、ごく常識的な科学では侵食や隆起の結果たまたまそうなったのだという説明だが、風水的には違う解釈となる。
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そこは「気」が高いゆえ、ほかの大地から持ち上がっていると考えるのである。龍脈と同じような文脈での理解であろう。とすれば、神域がそういうところに鎮座しているのは決して偶然ではない。古代人は多く人が平均的に考えるように、単に信仰に厚く自然を畏れ、これを崇拝していただけではなく、現代とは質的に異なるテクノロジーを活用して、神々と大地の力の恩恵を受けていたのはないか。そうした見えざる力は、実は今もなお広く存在しているように思われる。だが、古代人に見えたものも、現代人である私たちには不可視となっている。それゆえに気づかずに通り過そんな私たちでも、身体と五感を使わざるをえない自転車にまたがれば、また違う風景がてくる。ありふれた地元の眺めと思っていたもののヴェールが剥がれ落ち、物事の深層の一端が姿を現す。それは単に非日常というだけでなく、この世のかりそめの「光」のもとではついぞ見えることのなかった、別の種類の光や闇とそれらの交錯から生まれてくる何かだ。